August 2014 NEWS TOPICS INFORMATION


京都府京丹後市立網野北小学校の児童が国際宇宙ステーションと交信に成功!

 2014年8月6日、京都府京丹後市立網野北小学校でARISSスクールコンタクトが実施され、同校の23名の児童たちが、国際宇宙ステーションに長期滞在中のグレゴリー・リード・ワイズマン宇宙飛行士と交信に成功しました。
 網野北小学校のスクールコンタクトは、地元のアマチュア無線家をはじめとした、多数のサポートメンバーの協力で実施されたものです。

 関西ARISSプロジェクトチームのJH3BUM石原正次さん、そして、地元ハムとして実施までの準備に当たったJE3ADW吉岡淳一さんから、準備から実施までの詳細なレポートをいただきましたのでご紹介いたします。

●関西ARISSプロジェクトチーム・JH3BUM石原正次さんのレポート

 発端はJARL京都府支部の山下さん(JH3QNH)から、京丹後市アマチュア無線災害ボランティアの吉岡さん(JE3ADW)へのARISSスクールコンタクトの紹介でした。このとき、吉岡さんにはすぐに興味を持っていただき、地元である京丹後市網野町での賛同も得られ、2014年1月に、スクールコンタクトをサポートする関西ARISSプロジェクトチーム担当者との第1回の会合を開催しました。

 網野町では街全体でのイベントとして対応いただくことを確認し、開催場所を京丹後市立網野北小学校とすることでスタートしました。ただし、この時点では日本国内でスクールコンタクトの準備をしている所がどのぐらいいるかの情報が全くなく、4月以降の年度内に開催できるかどうか分からない所が不安でした。

 まずARISS JAPANの窓口への申請をすぐにおこない、ほどなく申請受理の連絡をいただき具体的に準備が始まりました。関西中部地域では何度もスクールコンタクトを実施していますが、関西北部での開催は初めて、京都府でも過去に2回京都市内で開催していますが、京都府北部では初の開催です。

 網野町は東経135度の子午線が通る日本国内の最北端の街で、京丹後私立網野北小学校はすぐ北側が日本海に面しています。山陰海岸ジオパーク(http://sanin-geo.jp/)の琴引浜―久美浜エリアに含まれ、周辺は見どころ一杯です。

 5月中旬に関西ARISSプロジェクトチーム有志でアンテナ設営場所と会場の下見のために網野町を訪問、大阪からも京都市内からも車で3時間程度の時間が掛かるため、1泊2日での訪問と成りました。

 会場は体育館でとの事で、体育館の屋上にアンテナを設置しようかと思ったのですが、海に面しているため思ったより風が強く断念、幸い付近に高い建物が全くないので、体育館前の地面から何時も使っている4mのルーフタワーを使ってアンテナを上げることにしました。夜には地元スタッフの皆さんと懇親会で盛り上がりました。

 5月下旬頃に8月4日の週に本番開催予定の連絡を受けましたが、最終的に本番の日が確定したのは本番の前日でしたので準備が大変でした。本番は6日の19時25分からと決まりました。


 本番当日は13時に現地集合です、大阪からは関西ARISSプロジェクトチームと高槻クラブ、京都からはJARL京都府支部と関西ARISSプロジェクトチーム/NPO法人JAMSAT(日本アマチュア衛星通信協会)、からの総勢19名がサポートに集まりました(写真上右はJA3UWB岩本哲哉京都府支部長)。

 アンテナ設営はJARL京都クラブ有志所有の移動無線車の協力を得られることになったため、設営が大幅に短縮されました(写真上左)。

 体育館には冷房の設備がないので、たくさんの扇風機と氷柱を準備いただき少し暑さがしのげました(写真右)。

 18時過ぎにセレモニーが開始され、本番直前のリハーサルでは、模擬宇宙飛行士が楽しい返答をして子供たちの緊張を和らげました。

 現在、国際宇宙ステーションには日本人のクルーが搭乗していませんので、質問に答えていただくのはアメリカ人宇宙飛行士の、グレゴリー・リード・ワイズマンさん(KF5LKT)でした。子供たち全員の質問にていねいに答えていただき交信は大成功でした。

 網野町では、今回のスクールコンタクトで終わりではなく、これからも子供たちに宇宙や科学に興味を持ってもらうため、引き続き色々な行事を予定されているとの事ですので、これからも支援していきたいと思っています。

 今回サポートしていただいたスタッフの皆さん、ありがとうございました。

●京丹後市アマチュア無線災害ボランティア会長
JE3ADW吉岡 淳一さんのレポート

 JARL京都支部の山下貞夫JH3QNHさんからARISSスクールコンタクトのお話を聞き、京丹後市立網野北小学校の吉岡重樹校長の賛同を得て申請が完了してから、さっそく地元での準備に取りかかりました。

 まず網野北小校区の地元区長(5地区)、公民館長、PTA、そして京丹後市アマチュア無線災害ボランティアとで「アリス網野北小実行委員会」を設立。
 北小学校では新学期を迎え「宇宙クラブ」を立ち上げ23名(4年2名、5年14名、6年7名)で活動を開始、宇宙飛行士への質問、英語に訳しての訓練を開始しました。
 英語に関しては網野中学校、網野高等学校の英語科の先生に依頼。他に地元の英会話教室の先生方にも依頼して手伝っていただきました。

 8月4日の週との連絡が入り児童の指導にも熱が入りました。最初は小さかった声も7月上旬には大きくなり8月6日と決まってからは2日置き、最後は5日、6日と連日特訓しました。

 また京丹後市全域に新聞折込もして市民にもPRしました。日程が2転3転した時は大変でしたが「5日早朝6日決定!」との報が入り最終準備に入りました。
 地元京丹後市では防災無線を使い、6日に実施のARISSスクールコンタクトの予告放送もしてくれ、また、終了後にNHKがニュース放映するという放送までしてくれました。

 当日は網野北小学校児童の合唱(200名)網野中学校吹奏楽部と、京丹後市吹奏楽団とのコラボの演奏も花を添えてくれました。

 当日のマスコミはNHK・地元ケーブルテレビ、新聞社は毎日・産経・京都・読売等が取材にきてくれました。特にNHKでは7日2回も放映してくれ当初「ARISSから広く周知を」という趣旨には答えられたと思っています。

 その他、京丹後警察、交通安全協会の方々にもお手伝いいただき、地域一丸となっての取り組みに成功したと思っています。

 最後にJARL京都府支部、関西ARISSプロジェクトチームの皆様方のお手伝いなくしては成し得なかった事を申し上げ御礼に代えさせていただきます。

(08月19日)





「原 昌三氏の米寿をアマチュア無線界で祝う会」開催

 平成26年8月1日(金)、「原 昌三氏の米寿をアマチュア無線界で祝う会」が、東京都千代田区のホテルグランドパレスにて、約150名の参加者を迎えて盛大におこなわれました。

 現在、JARLの名誉会員となられているJA1AN原 昌三氏は、日本のアマチュア無線界のカリスマ的存在として、戦後のJARLの役員を長く務め、平成23年11月まで41年にわたり会長職を務められました。また、一般財団法人日本アマチュア無線振興協会(JARD)の会長も平成3年の創設以来務め、平成26年6月に名誉会長に就任されています。

 この会は、大正15年生まれの原氏がこの9月で88歳になられることを、アマチュア無線界で祝うため、アマチュア無線機器工業会(JAIA)会長のJA3FA井上徳造氏、JARD会長のJA1HQG有坂芳雄氏、前JARL会長のJA5MG稲毛 章氏の3名が発起人となり開催されたものです。

 当日、原氏は夫人を伴い晴れやかな表情で、お元気なところを見せていました。

 冒頭、発起人代表として井上氏の挨拶(写真上)の後、来賓の祝辞では、原氏のもう一つの趣味である馬術を通じスポーツ界での交流がある笹川スポーツ財団理事長の小野清子氏、総務省で電波・通信関係の要職を歴任した総務省総務審議官の桜井 俊氏が挨拶しました。

 乾杯の音頭はJA7AIW山之内俊彦JARL会長がとりました。

▲左から小野清子笹川スポーツ財団理事長(元・国家公安委員会委員長および内閣府特命担当大臣)、桜井 俊総務省総務審議官、JA7AIW山之内俊彦JARL会長

 続いて原氏の今日までの軌跡を紹介するスライドの上映があり、華々しいアマチュア無線界での功績の数々、多数の受賞歴、皇族や国会議員などとの広い親交などが紹介されました。
 そして、原氏からの挨拶があり、過去の思い出話の数々が披露され、とりわけアマチュア衛星の打ち上げ、創立50周年の際おこなわれた沖ノ鳥島DXペディション、国際アマチュア無線連合(IARU)名誉会長で、JARLの名誉会員でもあったW1RUリチャード・ボールドウィン氏との親交が印象に残っていると話されました。
 関係者からは、総務省OBでJARD評議員の立野敏氏、かつて原氏とともにVHFで活躍された横浜クラブのJA1AI稲葉全彦氏、女性ハムの団体JLRS会長の7K3EOP戸倉典子氏がお祝いの言葉を述べ、JLRSからは原ご夫妻に花束贈呈もありました。
 そして、多数の祝電の披露の後、原氏にJARL、JARDの女性職員から花束贈呈、さらに記念品として会の発起人の稲毛氏から楯、有坂氏から電鍵の贈呈がありました。
 最後に原氏の謝辞があり、有坂氏の一本締めで会はお開きとなりました。
 アマチュア無線界の大先輩である原氏には、今後もますますお元気で末永くご活躍されますようお祈りいたします。

(08月05日)




   
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