■南極リポート(第11回) 『あわただしかった1年3ヶ月。帰国中!』

 大変ご無沙汰いたしました。 46次隊到着後かなり忙しく、気が付いたら日付は1月下旬となり、野外支援で越冬交代後まで外にいましたのでレポートを送る機会を失ってしまいました。すでに「しらせ」は北上を開始し、海洋観測を行いつつオーストラリアのシドニーを目指して航行中です。【写真右は長頭山。外洋は氷が張ってるためほとんど波が立っていない】

 12月18日には46次隊がオングル島に上陸。通信担当の小林さん、濱本さんにやっと会うことが出来ました。お二人ともアマチュア無線係ですので越冬交代後は元気な声を聞かせてくれるのでは、と思っております。【写真下は、子育て中のペンギン】
 この後氷上輸送が始まったのですが、やはり海氷の調子が悪く重量物はすべて夜間作業(といっても日は沈まないのですが気温は下がります)となり、昼間は仕事、夜も仕事で1日の睡眠時間が多くて1時間という日が数日続いたため12月後半はほとんどアマチュア無線の運用は出来ませんでした。

 正月は休みなのですが、おせち料理もそこそこに皆それなりに仕事をしていました。  私は1月23日に昭和基地を離れ、ラングホブデ袋浦というところで野外活動の支援を行い、2月4日やっと「しらせ」に戻ることが出来ました。ホントは2月2日「しらせ」の予定だったのですがなぜか天候が悪化してしまい、停滞は10月の旅行でなれていると強がってみても心は早く帰りたい一心で、「しらせ」に着いたときにはほっとしました。

 そんなこんなであわただしく終わった南極生活でしたが、通信室の窓から見える景色は世界一美しく、辛いながらもいろいろと楽しませていただきました。
 さて、夏になってからというもの日本との交信はほとんど出来なくなってしまい、7MHzでヨーロッパ方面が聞こえる程度になってしまいました。この7MHzのアンテナはホントの仮設で、業務の合間を見て何となく作り、調整もそこそこに運用の時だけ張り、終わると撤収という代物で、方位もいい加減だったため日本との交信は出来ませんでした。数局は聞こえたのですが。【写真上は、袋浦の夕日。下はペンギンですが、近くで見るとほんとうにトリです!】

 ほぼ20年ぶりのアマチュア無線の運用でかなりの戸惑いがあったのも事実です。当時、昭和基地でアマチュア無線が運用されていることは知っていましたが自分が交信できるなどとは思ってもなく、いつか南極と交信できればいいな程度にしか思っていない遠い世界でした。機会に恵まれ昭和基地に来ることが出来ましたが、いざ自分が8J1RLを運用するとなると勝手がわからず、聞こえていても交信できなかったと言われる方にはひたすら謝るしかなく、JARLをはじめ関係各位の方々のご支援にもかかわらず交信局数が伸びなかったのは非常に心残りでした。

 ただ、45次隊からインターネットがつながるようになりましたが、それでも短波で日本語が聞こえるというのが単純にうれしく、いつだったか21MHzは日本語でいっぱいと言うときがあったのですが、なにかびっくりするやらうれしいやら。昭和基地は建物の中にいるとホントに日本と変わらないくらいの生活が出来るのですが、このフェージングを伴った日本語を聞くと改めて南極と日本との距離を感じさせられました。
 日本に帰ってから社会復帰が大変そうですが、この1年3ヶ月を忘れることなくこれからの仕事や生活に生かせていければ、と思います。長きにわたる多大なるご支援ありがとうございました。  (第45次日本南極地域観測隊通信担当 藤本 2005/2/14)
協力:国立極地研究所